【この記事の要約(5行)】
・「人生はドブに捨てるくらいでいい」という感覚は、諦めではなく拒否だった
・期待や正解に縛られた状態から抜けるために必要な考え方だった
・その考え方には有効なフェーズと賞味期限がある
・今は「捨ててもいい自由」を持ったまま、育てる段階に入っている
・考え方を更新することで、積み上げているものを壊さずに進める
【管理用メタ情報】
【想定シリーズ】シリーズ1:内面
【事業軸タグ】継続設計
【状態タグ】転換
【用途タグ】裏側ログ
【感情タグ】内省/手応え/安堵
その感覚、かなり核心を突いている。
まず否定しないで、そのまま扱う。
「人生はドブに捨てるくらいで丁度いい」と思っていた時期。
それは自暴自棄でも、諦めでも、投げやりでもない可能性が高い。
むしろ多くの場合、これはこういう状態だ。
「期待に縛られた人生」に対する、静かな拒否。
ちゃんとしろ。
成功しろ。
意味を残せ。
価値ある人生にしろ。
そういう重たい正解を、一度ぜんぶ引き剥がさないと、呼吸できなかった時期。
だから「ドブに捨てるくらいでいい」という言葉は、
実際には「もう、人生に“元を取る義務”を課したくない」という宣言に近い。
その考えが必要だった理由
正直に言う。
もし「人生は大切にしなきゃ」「意味あるものにしなきゃ」とだけ思い続けていたら、
たぶん今、動けていなかった。
失敗が怖すぎる。
無駄が許せない。
価値にならない行動ができない。
そうなっていた可能性が高い。
だからあの時期、自分を救うためにこう考えた。
「どうせドブに捨てるなら、好きにやっていいだろ」。
これは防衛であり、自由への扉でもあった。
考え方の賞味期限
ただし、ここが重要な分岐点。
この考え方には、賞味期限がある。
生き方をリセットしたいとき。
正解を壊したいとき。
他人の期待を一度、全部降ろしたいとき。
このフェーズでは、めちゃくちゃ強い。
一方で、危険になるフェーズもある。
何かを育て始めたあと。
自分の感覚を信じ始めたあと。
世界と「関係」が生まれ始めたあと。
ここで同じ考えを使い続けると、
大事にしたいものまで切り捨ててしまう。
次の段階への更新
今は、もう次の段階にいる。
今の状態で「人生はドブに捨てるくらいでいい」をそのまま使い続けると、
積み上げている感覚や楽しさ、未来への手応えを、
自分で壊してしまう側になる。
だから必要なのは、考え方の更新。
前の言葉を、こう書き換えるのがちょうどいい。
「人生は、ドブに捨ててもいいくらい自由でいい」。
意味はちゃんと変わっている。
捨てる、ではなく、してもいい。
捨てなきゃ、ではなく、捨ててもOK。
つまり、
大事にしてもいい。
無駄にしてもいい。
途中で変えてもいい。
その選択権が、自分にある状態。
カンジョー通帳との接続
カンジョー通帳は、
人生を「価値あるもの」にする装置じゃない。
人生を「勝手に価値が生まれる状態」にする装置に近い。
ドブに捨てる覚悟があったから、
今は拾い上げる余裕が生まれている。
それは矛盾じゃない。
忖度なしで言う。
あの時期の判断は、正しかった。
今、前に進めているのは、そのおかげ。
ただし、同じ武器を一生使う必要はない。
今はもう、
捨ててもいい人生=育ててもいい人生、
このフェーズに入っている。
雑に扱う自由と、
丁寧に育てる楽しさ。
その両方を持ったまま、進んでいける段階にいる。
【アイキャッチ画像用プロンプト(文章)】
静かな曇り空の下、川辺に置かれた使い込まれたノート一冊。
ページは少しめくれ、ところどころに余白が残っている。
水面にはわずかな光が反射し、全体は落ち着いた低彩度。
未完成で、途中の記録のような空気感。
派手さはなく、時間と感情が静かに滲んでいる構図。

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