『はじまりのスケッチ』
第8話|格好悪いと思われたくなかった

翌日、私は昨日保存したファイルを開いた。
白い画面の上で、入力するための線が点滅している。
最初の一行を書こうとした。
しかし、手は動かなかった。
まだ決まっていないことが多すぎる。
私は、そう考えた。
けれど、前の日までに作った構想は、すでにいくつもあった。
キャラクターの名前もある。
物語に使いたい出来事もある。
書き始めるための材料が、何もないわけではなかった。
それでも始められない。


私は、白い画面を見ながら、自分に問いかけた。
もし、この物語を自分が作ったと、誰にも知られないとしたら。
それでも、書けないだろうか。
答えは、すぐに浮かんだ。
それなら、書ける。
その答えが出た瞬間、胸の奥が少し重くなった。
私は、物語が作れないのではなかった。
何を作ればいいのか分からないだけでもなかった。
作ったものを、自分と結びつけて見られることが怖かった。


名前を付けたキャラクターたち。
猫や感情を使った物語。
自分の迷いや失敗を入れた世界。
それを、知っている人に見つけられたらどう思われるだろう。
いい歳をして、何を作っているんだ。
幼稚なことを、よく真剣に続けられるな。
そう思われるかもしれない。
誰かに言われたわけではなかった。
まだ物語さえ書いていない。
それでも私は、誰かに見られたあとのことを先に想像していた。
怖かったのは、作品を否定されることだけではない。
その作品を作った私まで、格好悪いと思われることだった。


私は、格好いいものを作りたいのだと思っていた。
子どもっぽく見えないもの。
きちんと説明できるもの。
誰かに知られても、恥ずかしくないもの。
けれど、本当は違った。
「格好いいものを作りたいんじゃない」
私は、声に出した。
「格好悪いと思われたくなかっただけだ」


言葉にすると、これまで増やしてきた構想の見え方が変わった。
すべてが必要な準備だったわけではない。
考え続けている間は、物語を書かなくても済んだ。
物語を書かなければ、誰にも見せなくていい。
誰にも見せなければ、格好悪いと思われることもない。


メモの中には、「ばつ」という名前が残っていた。
姿は、まだ決まっていない。
それでも、その文字から声が聞こえた気がした。
「怖くなくなってから作るのか」
私は答えられなかった。
怖さが消える日が来るのか、分からなかった。
画面では、入力するための線が点滅し続けている。
私は一文字も入力しないまま、その画面を見つめていた。

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