『はじまりのスケッチ』
第9話|残したかったもの

シリーズ1(内面)

答えられないまま、私は白い画面を閉じた。

物語を書き始める代わりに、パソコンの中にある古いデータを見返した。

途中まで作った文章。
使わなかった画像。
何度も書き直した構想。

その中に、昔描いた猫のデータが残っていた。

父のパソコンを借りて、Illustratorで描いた猫だった。

私はファイルを開いた。
画面に、懐かしい猫が現れた。



今、まるとして描き直そうとしている猫とは、まったく違う。

服も着ていない。
特別な役割もない。
暮らしている世界も、伝える言葉もない。

ただ、以前飼っていた猫を、画面の中へ残そうとして描いたものだった。

線の引き方も、色の使い方も不慣れだった。
今なら、直したいところがいくつも見つかる。

それでも私は、しばらく画面を閉じることができなかった。

あの頃は、この猫に価値があるのか考えていなかった。
誰に向けて描くのかも決めていなかった。

何に使えるのか。
収入になるのか。
幼稚に見えないか。

そんなことを決めてから、描いたわけではない。

ただ、残したかった。
以前飼っていた猫を、何かの形にして残したかった。

その気持ちだけで、私は線を引いていた。



けれど、画面に残っていたのは、猫の姿だけではなかった。

父にパソコンを借りていた私。
ティッシュを配り、自分のパソコンを買おうとしていた私。
デザインをさらに学ぶため、環境を変えた私。
部屋で一人、創作を続けていた私。

もっと外へ出たいと思い、仕事を増やした私。
働いて貯めたお金で、欧米輸入転売へ挑戦した私。
二度失敗しても、また別の方法を探していた私。

一枚の猫の絵から、そこから続いた時間まで見えてきた。



どれも、きれいな成功物語ではない。

挑戦したことだけではなかった。
逃げたこともある。
途中でやめたこともある。

迷いも、言い訳も、失敗もあった。
思い出すと、恥ずかしくなることもあった。

それでも、それらを消してしまえば、今の自分がどこから来たのかも分からなくなる。

完成したものだけを残したいわけではなかった。
うまくいったことだけを、きれいに並べたいわけでもなかった。



「恥ずかしくても、自分のことを何かに残したい」

誰かに届くか確かめたいのではない。
何者かであることを証明したいのでもない。

この先、カンジョー箱がどのような形になるのかも、まだ分からない。

それでも、ここまで歩いてきた自分の時間を、なかったことにはしたくなかった。



私は猫のデータを閉じた。
そして、新しいファイルを開いた。

白い画面の上で、タイトルを入力する。

『はじまりのスケッチ』

少し間を置いて、本文を書き始めた。

何をする気にもなれず、最低限の仕事だけを続けていた私。

画面の中に、最初の一行が残った。

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