でっさんは、机の上に何枚もの地図を広げていた。
新しい道。
人の多い道。
安定している道。
何かを学べる道。
どれも、入口だけは明るく描かれていた。
「こっちなら、新しい毎日が始まるかもしれない」
ほしいが、地図の上を跳ねた。
「こっちは? こっちも面白そう!」
かんがは定規を持ち出した。
「距離、時間、お金、将来性。まずは全部、比べましょう」
まるは、まだ何も決まっていない地図に、次々と丸をつけた。
ばつは、その隣から全部に線を引いた。
「疲れる」
「続かない」
「また後悔する」
「そもそも、本当にやりたいのか?」
机の上は、丸と線でぐちゃぐちゃになった。
でっさんは椅子にもたれた。
今日も仕事で、小さな間違いをした。
いつもなら気づけることに、気づけなかった。
身体が重かった。
頭の奥に、薄い霧がかかっていた。
「もう少し、ちゃんとできると思ってたんだけどな」
かなしが、机の下に座っていた。
何も言わず、でっさんと同じように床を見ていた。
いかりが地図を一枚つかんだ。
「いつまで迷ってるんだよ。早くどれか選べよ」
ばつも言った。
「どうせ選んでも、また違うって言い出すんじゃないの」
でっさんは答えなかった。
変わりたい気持ちはあった。
今のままで終わりたくない気持ちもあった。
だから、何度も地図を広げた。
けれど、未来を考えるたびに、道が増えた。
道が増えるたびに、正しい一本を選ばなければならない気がした。
そのうち、希望だったはずの地図が、重たい宿題に変わっていた。
いらなが、部屋の隅から箱を引いてきた。
「捨てる?」
箱の左側には、こう書かれていた。
もう嫌なもの。
疲れ切って、何も作れない毎日。
仕事と家を往復するだけの毎日。
危ないのに、我慢すること。
資格や肩書を理由に、嫌な場所へ自分を押し込むこと。
「せっかくここまで来たから」と、戻れなくなること。
自分の気持ちを無視して、正しそうな道を選ぶこと。
でっさんは、一枚ずつ箱へ入れた。
「これは、いらない」
いらなは明るい顔で、左側のふたを閉めた。
すると、ほしいが聞いた。
「じゃあ、何がほしいの?」
でっさんは、すぐには答えられなかった。
新しい仲間。
身体を鍛える時間。
何かを作る余白。
笑える仕事。
自分の力で売上を作ること。
まだ見たことのない毎日。
どれも欲しかった。
でも今日は、それを選ぶ力さえ残っていなかった。
かんがが、また地図を整理しようとした。
「では、優先順位を――」
「今日は、もういいよ」
でっさんが言った。
かんがの手が止まった。
まるも、ばつも黙った。
でっさんは、机の上の地図を全部重ねた。
捨てなかった。
選びもしなかった。
ただ、箱の右側へ置いた。
そこには、まだ何も書かれていなかった。
「俺、また何かを始めたいんだと思う」
でっさんは言った。
「でも、疲れたまま未来を決めると、また嫌な方へ行きそうだ」
かなしが、机の下から出てきた。
「じゃあ、今日は休む?」
「うん。今日は休む」
ほしいが、少し不満そうに地図の隙間から顔を出した。
「明日は?」
でっさんは笑った。
「明日の俺に聞くよ」
その夜、箱の中では何も決まらなかった。
新しい道も、仕事も、約束も。
ただ一つだけ、残ったものがあった。
もう、自分が嫌になる未来を、正しいふりをして選ばない。
それは決断というほど立派なものではなかった。
疲れた男が、ようやく自分に許した、
小さな拒否だった。
箱の右側には、まだ空きがあった。
でっさんは、その空きを見ながら目を閉じた。
次に何を入れるかは、
少し元気になってから決めればよかった。
でっさんと、選ばなかった未来
シリーズ6(身体と習慣)
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