出勤前、でっさんはタバコを吸っていた。
数年ぶりだった。
ひと口吸って、煙を吐く。
「……久しぶりだな」
昨日は、自分の人生をハチャメチャに楽しみたいと思っていた。
自分の仕事を持ちたい。
作ったものを誰かに届けたい。
彼女との暮らしも楽しみたい。
やりたいことはある。
ただ、今朝は疲れていた。
でっさんは指に挟んだタバコを見た。
これを吸ったからといって、仕事が休みになるわけではない。
元気が湧いてくる感じもしなかった。

電車に乗ってから、スマートフォンを開いた。
昨日のメモに、こんな言葉が残っていた。
〈全感情資産化計画〉
〈カンジョー通帳〉
嬉しいことも、悔しいことも、言葉や物語にして残す。
そこから、自分に使えるものや、誰かに届けられるものを育てる。
昨日見た動画では、家計簿のサポートを起業の一例として紹介していた。
詳しい仕組みは覚えていない。
でも、カンジョー通帳も、何かを整理するために使えるかもしれない。
「今朝のやつ、書いてみるか」
でっさんは新しいページを開いた。
〈事実:数年ぶりに、出勤前にタバコを吸った〉
〈今の状態:疲れている〉
そこまでは、すぐに書けた。
次は、本音。
タバコを吸いたかった。
そう書こうとして、指が止まった。
「それだけか?」
どうして今朝だったのだろう。
疲れた朝は、今までにもあった。
それでも吸わずに過ごしてきた。
でっさんは、火をつけたときの自分を思い出した。
数年ぶりに、こんなことをしている。
ほら。
俺、疲れてるだろ。
「ああ、そういうことか」
画面に打ち込んだ。
〈自分がいま疲れているのを、自分に証明したかった〉

書いてみると、ちょっとおかしかった。
「証拠まで用意したのか、俺」
誰かに見せるためではなかった。
自分が、自分を納得させようとしていた。
疲れたな、と思っても、そのあとには予定が並ぶ。
仕事がある。
起業も進めたい。
物語も書きたい。
やりたいことだから、なかなか引っ込まない。
気づけば「疲れている」は、その後ろで待たされていた。
そこで今朝は、タバコを一本持ってきたらしい。
「ずいぶん回りくどいな」
でっさんは座席に座り直した。
昨日、人生を楽しみたいと思ったことも本当だ。
今朝、疲れていることも本当だった。
メモに続きを書く。
〈今日は、疲れているものとして予定を決める〉
帰ったら、まずご飯を食べよう。
そのあとのことは、それから考えよう。
ひとまず、それでよさそうだった。

「よし。今朝の記帳、終わり」
でっさんはメモを閉じた。
疲れは残っている。
もうすぐ仕事も始まる。
それでも、今朝の自分が何をしていたのかは、少し分かった。
ふと、口の中が気になった。
タバコのニオイが残るのは、いやだった。
「途中でガム買おう」
でっさんは、スマートフォンをポケットにしまった。
降りる駅が近づいていた。




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