答えられないまま、私は白い画面を閉じた。
物語を書き始める代わりに、パソコンの中にある古いデータを見返した。
途中まで作った文章。
使わなかった画像。
何度も書き直した構想。
その中に、昔描いた猫のデータが残っていた。
父のパソコンを借りて、Illustratorで描いた猫だった。
私はファイルを開いた。
画面に、懐かしい猫が現れた。

今、まるとして描き直そうとしている猫とは、まったく違う。
服も着ていない。
特別な役割もない。
暮らしている世界も、伝える言葉もない。
ただ、以前飼っていた猫を、画面の中へ残そうとして描いたものだった。
線の引き方も、色の使い方も不慣れだった。
今なら、直したいところがいくつも見つかる。
それでも私は、しばらく画面を閉じることができなかった。
あの頃は、この猫に価値があるのか考えていなかった。
誰に向けて描くのかも決めていなかった。
何に使えるのか。
収入になるのか。
幼稚に見えないか。
そんなことを決めてから、描いたわけではない。
ただ、残したかった。
以前飼っていた猫を、何かの形にして残したかった。
その気持ちだけで、私は線を引いていた。

けれど、画面に残っていたのは、猫の姿だけではなかった。
父にパソコンを借りていた私。
ティッシュを配り、自分のパソコンを買おうとしていた私。
デザインをさらに学ぶため、環境を変えた私。
部屋で一人、創作を続けていた私。
もっと外へ出たいと思い、仕事を増やした私。
働いて貯めたお金で、欧米輸入転売へ挑戦した私。
二度失敗しても、また別の方法を探していた私。
一枚の猫の絵から、そこから続いた時間まで見えてきた。

どれも、きれいな成功物語ではない。
挑戦したことだけではなかった。
逃げたこともある。
途中でやめたこともある。
迷いも、言い訳も、失敗もあった。
思い出すと、恥ずかしくなることもあった。
それでも、それらを消してしまえば、今の自分がどこから来たのかも分からなくなる。
完成したものだけを残したいわけではなかった。
うまくいったことだけを、きれいに並べたいわけでもなかった。

「恥ずかしくても、自分のことを何かに残したい」
誰かに届くか確かめたいのではない。
何者かであることを証明したいのでもない。
この先、カンジョー箱がどのような形になるのかも、まだ分からない。
それでも、ここまで歩いてきた自分の時間を、なかったことにはしたくなかった。

私は猫のデータを閉じた。
そして、新しいファイルを開いた。
白い画面の上で、タイトルを入力する。
『はじまりのスケッチ』
少し間を置いて、本文を書き始めた。
何をする気にもなれず、最低限の仕事だけを続けていた私。
画面の中に、最初の一行が残った。




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