まだ行っていない場所

シリーズ1(内面)

でっさんは、やりたいことを書き出していた。
海外に1か月住む。 東南アジアで生活してみる。 海外のジムへ行く。 英語で、片言でも会話する。
知らない街のジム。
受付で何を言えばいいのか、分からない。 どうにか料金を払っても、今度は器具の使い方が分からないかもしれない。
隣の人に聞く。 言葉が出てこなければ、指をさす。
「……それでも、いいのか」
流暢に話せるようになってから行こうと思ったら、いつになるだろう。
片言のまま、そこで暮らしている自分を想像した。
でっさんは、続きを書いた。
海外の屋台で飯を食う。 日本の常識から、一回離れる。 海外で作品を作る。
頭の中に、プラスチックの椅子が出てきた。
ぐらつくテーブル。 読めないメニュー。 隣の客が食べているものを指さして、同じものを頼む。
運ばれてきた料理を、ひと口食べる。
うまい。 でも、辛い。
もうひと口食べる。
向こうのテーブルでは、何人かが酒を飲んでいる。
自分には初めての夜が、その人たちには、いつもの夜だった。


スカイダイビング。 バンジージャンプ。 格闘技ジム体験。 キャンプ。 山登り。
バンジージャンプは、もうやったことがある。
文字を見ていると、飛び降り台の感覚が戻ってきた。
足の裏を、半分だけ台の外に出す。
まだ半分は、台に乗っている。 手も、手すりをつかんでいる。
そこから、手を離した。
あの瞬間は、マジで怖かった。
さっきまでつかんでいた手すりを、もうつかんでいない。 足の裏の半分だけが、台に残っている。
そして、飛んだ。
落ちている最中は、
「うっ」
となった。
でっさんは、思い出しながら小さく笑った。
飛ぶ前には、あんなにいろいろ感じていたのに。 落ち始めたら、「うっ」だった。
〈バンジージャンプ〉の横に、〈経験済み〉と書いた。
やりたいことの中に、もうやってきたことが混ざっていた。


YouTubeチャンネルを育てる。 動画を作る。 本を出版する。 書店に、自分の本が並ぶ。
自分の本に、サインを書く。
「サインか」
でっさんは、指で机に名前を書いてみた。
いつもの字だった。
少し勢いをつけて、もう一度書く。
読みにくくなった。
本ができる前から、サインでつまずいている。
その隣に、〈人生そのものを作品にする〉と書いた。
これは、もう少し身近だった。
うまくいかなかった商売もある。 準備ばかりして、外に出せなかったものもある。 仕事へ向かう朝に、自分にうんざりしたこともある。
その一方で、人を集めて酒を飲んだこともあった。 文章を公開したこともある。
バンジージャンプで、「うっ」となったことも。
自分の人生を思い返すと、格好のつかない場面まで出てきた。
それでも、書いてみたい場面はあった。


新しい事業を作る。 自分の商品を持つ。 小さく始めて、また別の事業も作る。 失敗しても、再挑戦する。
自分の仕事がほしい。
何度も考えてきた願いだった。
今日は、その先の暮らしも考えてみた。
知らない街で朝ご飯を食べる。 昼間に、自分の商品を作る。 夕方にはパソコンを閉じて、外へ出る。
売れた知らせが届いたら、もう一度、画面を開いて確かめると思う。
「これ、売れたんだ」
帰ったら、彼女にも話したい。
売れない日もあるだろう。 海外まで来て、画面の前で頭を抱える日もありそうだった。
「どこにいても、考え込んでそうだな、俺」
でも、窓の外には、まだ歩いたことのない街がある。
ひとまず外へ出て、飯を食ってから、続きを考えてもいい。
その暮らしを、試してみたかった。


少人数のイベントを開く。 居場所を作る。 人が自然に集まる場所を作る。
でっさんは、以前、人を集めたときのことを思い出した。
文章を書き、連絡を取り、日を決めた。
集まれば、それぞれが話していた。 酒を飲みながら、初めて聞く話を聞いた。
自分が何かを教えなくても、時間は過ぎていった。
あれは、楽しかった。
今度なら、どんな場所にしたいだろう。
作りかけのものを、持ってきてもいい。 何も作っていなくても、来ていい。
話に入ったり、飲み物を取りに立ったりする。 誰かの話を聞いているうちに、少し遅い時間になる。
でっさんも、その中に座っている。
「また、こういうのやりたいな」
リストに書く手が、少し速くなった。


勉強をする。 似合う服を見つける。 身体を作る。 新しいことに、本気で取り組む。
やってみたいことは、まだ出てきた。
ジャケットを自然に着こなしたい。 いい時計も持ってみたい。
出かける前に鏡を見て、これで行こうと思える格好をしたい。
仕事を作ることも。 誰かが落ち着ける場所を作ることも。 自分の身体や服を楽しむことも。
書いているうちに、100個になった。
でっさんは、上から読み返した。
お金のかかるものがある。 長い休みが必要なものもある。 自分だけでは決められないものもあった。
全部できるのだろうか。
途中で、やりたくなくなることもあると思った。
それでも今は、残しておきたかった。
でっさんは、〈海外に1か月住む〉に丸をつけた。
いつ行けるかは、まだ分からない。
けれど、その1か月には、観光だけでは足りなかった。
洗濯物を干す日がある。 筋肉痛でジムを休む日がある。 いつもの屋台へ行って、顔を覚えられている日があるかもしれない。
そこで、自分は何を書くのだろう。
どんなことを、面白いと思うのだろう。
バンジージャンプの横には、〈経験済み〉と書いてある。
海外の暮らしの横にも、いつか何か書き足すのだろうか。
辛かった料理の名前か。 通ったジムのことか。 片言で話した、誰かのことか。
でっさんは、その欄を少し空けておいた。

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