心の奥で、待っていた気持ち

シリーズ4(ファンタジー)

朝、でっさんが起きると、
ベッドの下に階段があった。

昨日までは、なかったはずだ。

下から、自分の声が聞こえた。

「もう、どうでもいい」

最近、よく口にしていた言葉だった。

隣で、まるがメガネを直した。

「見に行く?」

「何がいるんだ?」

「君が、置いてきた気持ち」

でっさんは通帳を持ち、
暗い階段を下りた。



最初の部屋には、
巨大な標識になった、かんががいた。

身体に、赤い文字が次々と浮かぶ。

「怒るな」
「我慢しろ」
「お前が悪い」

その大きな身体が、
奥の扉をふさいでいた。

足元には、いかりがいる。

「そこを通してくれよ」

押しても、かんがは動かなかった。

でっさんが赤い文字に触れると、
昔の自分の声が聞こえた。

「これくらいで怒る俺が悪い」

誰かに嫌なことを言われた日だった。

本当は、言いたかった。

「そんな言い方、してほしくなかった」

でっさんは通帳に書いた。

嫌だった。俺も、怒っていた。

いかりが、顔を上げた。

「怒ってたって、認めてくれるのか?」

「うん。我慢できない俺が悪いって、決めつけてた」

かんがの赤い文字が止まった。

「怒らなければ、揉めずに済むと思っていた」

でっさんは、かんがを見上げた。

「でも、嫌だった気持ちまで消さなくていいだろ」

かんがは、足元のいかりを見た。

それから、ゆっくり横へ動いた。

奥の扉が見えた。


次の部屋では、雨が降っていた。

ばつが、背中を向けて座っていた。

足元の水に、古い思い出が映っている。

言えなかった言葉。
会えなくなった人。
平気なふりをして帰った夜。

「何してるんだ?」

「お前が見ないから、俺が見てた」

でっさんは、立ち止まった。

忘れたつもりでいたものばかりだった。

「もう済んだことだろ」

そう言いかけて、やめた。

ばつの横に座る。

「……あのとき、寂しかったな」

ばつが、少し振り向いた。

「やっと言った」

でっさんは、濡れた床を見た。

「何でもなかったことにして、ごめんな」

雨は、すぐにはやまなかった。

ばつも、立ち上がらなかった。

二人でしばらく、
同じ思い出を見ていた。



三つ目の部屋は、お祭りだった。

灯りが回り、
音楽が鳴り続けている。

大きな笑顔のお面が、
天井からでっさんをのぞいた。

「楽しいだろ?」
「笑えよ」
「止まるなよ」

でっさんも、つられて笑った。

けれど、少し疲れてきた。

音楽の隙間から、
小さな声が聞こえた。

「つまらないと思われたら、どうしよう」

お面の下に、たのしがいた。

笑顔を持ち上げる腕が、
震えていた。

でっさんは、お面の片側を支えた。

「ずっと笑ってなくても、俺はここにいるよ」

たのしが、でっさんを見た。

「静かでも?」

「うん。ちょっと座りたいし」

二人でお面を床に下ろした。

音楽が小さくなると、
でっさんのお腹が鳴った。

たのしが、ぽつりと言った。

「腹、減ったね」

今度は二人とも、
無理なく笑えた。



最後の部屋には、
もう一人のでっさんがいた。

色が薄く、
顔には何の表情もない。

「迎えに来た」

返事はなかった。

「何か言ってくれよ」

やはり、返事はない。

でっさんは困って、
まるを見た。

まるは急かさず、
入口で待っていた。

でっさんは、隣に座った。

何を言えばいいか、わからない。

だから、そのまま待った。

しばらくして、
隣の自分が口を開いた。

「何を感じても、面倒になるから」

でっさんは、顔を向けた。

「怒れば、自分を責める。
寂しければ、弱いと思う。
楽しくても、すぐ不安になる」

薄い色の手が、膝の上で動いた。

「何も感じなければ、楽かと思った」

でっさんは、通帳を開いた。

ここまで書いた気持ちを、
隣の自分にも見えるように置いた。

「今日は、少し聞いてこれた」

隣の自分は、黙ってページを見た。

やがて、小さな声がした。

「……俺、疲れてたんだ」

でっさんは、うなずいた。

「うん。少し休もう」


帰りの階段で、
でっさんは、まるに聞いた。

「最初は、みんなが俺を邪魔してると思った」

「今は?」

「俺が聞かなかった気持ちを、ずっと持ってたんだな」

まるは、うなずいた。

でっさんは、通帳を見た。

嫌だった。
寂しかった。
無理に笑っていた。
疲れていた。

どれも、格好のいい言葉ではない。

でも、読み返すと、
あの部屋の顔が浮かんだ。

「会いに行って、よかった」

最後に、一行書き足した。

今度は、こんなに大きくなる前に話そう。

部屋へ戻ると、
ベッドの下の階段は消えていた。

でっさんは、窓を開けた。

まだ、寂しさも疲れも残っていた。

でも、もう「どうでもいい」の一言で、
片づけたくはなかった。

「俺、いろいろ我慢してたんだな」

でっさんは、窓辺に座った。

今朝は、自分を急かさずにいようと思った。

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