
「俺、何やってるんだろうな」
でっさんは、机の上に並んだキャラクターの絵を眺めていた。
変な顔をした猫。
帽子をかぶった青い生き物。
星の形をした何か。
どれも、自分で考えて描いたものだった。
ついさっきまでは、新しい物語の続きを考えていた。
頭の中には、空を飛ぶ列車や、奇妙な建物が浮かんでいた。
それが急に、ばかばかしく思えてきた。
「いい歳して、キャラクター作って、物語なんか書いて……」
もっと仕事を頑張った方がいいんじゃないか。
収入を増やす方法を考えた方がいいんじゃないか。
将来のために、もっと役に立つことをした方がいいんじゃないか。
でっさんは鉛筆を置いた。
そのとき、机の上に一枚の封筒が落ちてきた。
差出人はない。
中には古びた入場券が入っていた。
『選ばなかった人生の博物館』
裏側には、小さな文字が書かれている。
『あなたが生きなかった人生を、ご覧いただけます。』

顔を上げると、部屋の壁に扉ができていた。
「……なんだ、これ」
でっさんが扉を開けると、そこには巨大な博物館が広がっていた。
高い天井から、無数の時計がぶら下がっている。
床にはいくつもの道が伸び、その先に大小さまざまな展示室が並んでいた。
中央の時計だけは、針が動いていない。
「ずいぶん変なところに来たな」
声の方を見ると、まるが立っていた。
いつもの顔で、巨大な案内板を眺めている。
「お前も来たのか」
「さあな」
まるは案内板を指さした。
そこには、こう書かれていた。
『当館の展示は、実際に起きた出来事ではありません。選ばれなかった可能性の一部です。』
「可能性……?」
でっさんは最初の扉を開いた。

第一展示室 もっと真面目に働いた人生
そこには、立派な建物があった。
大きな窓。
整った机。
忙しそうに働く人々。
その中心に、少し年を取ったでっさんがいた。
部下から相談を受け、資料を確認し、次々と指示を出している。
仕事が終わると、広い部屋に帰っていった。
棚には仕事で得た賞状が並んでいる。
「すげえな……」
でっさんは思わず声を漏らした。
「あっちを選んでいたら、俺もこうなっていたのかな」
すると、展示の中のでっさんが、引き出しを開けた。
中には、古いスケッチブックが入っていた。
ページには、見覚えのあるキャラクターが描かれている。
「……あ」
展示の中のでっさんは、しばらく絵を見つめていた。
そして、引き出しを閉めた。
壁の時計が、静かに一時間進んだ。

第二展示室 若い頃から創作を続けた人生
次の部屋には、色鮮やかな作品が並んでいた。
大きな絵。
分厚い物語の本。
スクリーンでは、自分が作ったキャラクターたちが動いている。
展示の奥では、もう一人のでっさんが作業をしていた。
机には何冊ものノートが積まれている。
「これ、全部俺が作ったのか?」
でっさんは、展示された本を一冊手に取った。
ページをめくる。
知らない街。
見たことのない生き物。
自分では思いつかなかったような物語。
胸の奥が、少しざわついた。
「いいなあ……」
思わず口に出た。
そのとき、床に落ちていた一枚の紙が目に入った。
『この作品は売れませんでした』
別の紙には、
『制作中止』
さらに奥には、何度も描き直された原稿が山積みになっていた。
もう一人のでっさんは、疲れた顔で机に突っ伏していた。
それでも、しばらくすると顔を上げ、また絵を描き始めた。
でっさんは、その姿を長い間眺めていた。
羨ましい気持ちは、消えなかった。

第三展示室 会社を作った人生
扉を開けると、そこには賑やかな事務所があった。
壁には見知らぬ会社の名前。
大きなテーブルを囲み、仲間たちが議論している。
その中心に、でっさんがいた。
「次は、こっちの事業をやってみよう!」
展示の中のでっさんが、楽しそうに話している。
「おお……面白そうじゃないか」
しかし、部屋の奥には別の展示があった。
閉鎖された事務所。
失敗した企画書。
資金繰りに頭を抱える姿。
仲間と意見が合わず、ひとりで帰る夜。
それでも、その先にはまた新しい事務所があった。
小さな机が二つ。
壁には、新しい計画が貼られている。
「何回もやり直してるんだな」
でっさんは、展示の中の自分を見つめた。
あちらの人生でも、簡単にはいかなかったらしい。
けれど、少し楽しそうだった。

第四展示室 遠い国へ行った人生
今度の扉を開けると、熱い風が吹き込んできた。
知らない言葉が飛び交う市場。
色鮮やかな屋台。
見たことのない街並み。
展示の中のでっさんは、小さな鞄を持って歩いていた。
道に迷い、言葉が通じず、困った顔をしている。
それでも、屋台で買った料理を食べながら、知らない誰かと笑っていた。
「こんな生活もしてみたかったな」
でっさんは、街の向こうに広がる海を眺めた。
しばらくすると、展示は夜の部屋に変わった。
一人きりのでっさんが、窓の外を見ていた。
机には、帰りの航空券と、使い古したノート。
自由そうに見えた暮らしにも、寂しい夜があった。
それでも翌朝、展示の中のでっさんは、また知らない街へ出かけていった。

いくつもの展示室を歩くうちに、でっさんは疲れてきた。
どの人生にも、いいところがあった。
どの人生にも、嫌なことがあった。
けれど、不思議なことに、どれも今の自分より面白そうに見えた。
「……やっぱり、違う道を選んだ方がよかったのかな」
廊下のベンチに座ると、ばつが隣に現れた。
「だったら、どれにするんだ?」
「分からない」
「全部は選べなかったんだぞ」
「分かってるよ」
ばつは何も言わなかった。
でっさんは、もう一度展示室の方を見た。
どの部屋にも、自分がいた。
みんな、違う人生を生きていた。
そして、みんな何かを諦めていた。

廊下の一番奥に、小さな扉があった。
第五展示室 いつか始めるつもりだった人生
中に入ると、何もない白い部屋が広がっていた。
中央には、三つの机。
最初の机には、若いでっさんが座っていた。
目の前には、描きかけのキャラクター。
「面白そうだけど、今はもっと勉強しないとな」
若いでっさんは、ノートを閉じた。
次の机には、働き盛りのでっさんがいた。
「今は仕事を頑張る時期だろ。こんなことやってる暇はない」
机の上には、作りかけの物語が置かれていた。
最後の机には、年老いたでっさんがいた。
「今さら、こんなこと始めてもなあ」
その手元にも、同じキャラクターが描かれていた。
でっさんは、三つの机を見比べた。
「……おいおい」
若い自分も。
働き盛りの自分も。
年老いた自分も。
みんな、同じことを言っている。
「結局、いつならいいんだよ」
誰も答えなかった。
三つの机には、使われていない鉛筆が置かれていた。

でっさんは、部屋の中央に立ったまま考えた。
若かったら、まだ早いと言っていたかもしれない。
もっと年を取ったら、もう遅いと言っていたかもしれない。
今だって、そんなことをしている場合じゃないと思うことがある。
「……いつでも理由は作れるんだな」
すると、壁に一枚の絵が現れた。
そこには、今の自分が描いたキャラクターたちがいた。
まる。
ばつ。
かんが。
ほしい。
そして、でっさん自身。
どれも、まだ完成された作品ではなかった。
それでも、確かに自分が作ったものだった。
「俺、これを作ってるとき、面白かったんだよな」
でっさんは小さく笑った。
「別に、立派な理由があったわけじゃないんだ」

部屋を出ようとすると、突然、博物館全体が揺れた。
ゴゴゴゴゴ……。
天井の時計が一斉に回り始めた。
廊下の奥に、新しい扉が現れる。
未展示室
でっさんが扉を開けると、そこには無数の額縁が浮かんでいた。
どの額縁も真っ白だった。
「ここは何なんだ?」
後ろから、かんがが現れた。
「まだ展示できない人生なんじゃないかな」
「なんで?」
「まだ、何が起きるか決まってないから」
でっさんは、一枚の額縁に手を伸ばした。
すると、真っ白な画面に小さな光がともった。
そこには、知らない建物が映っていた。
次の額縁には、誰かと一緒に作品を作っている姿。
別の額縁には、知らない街を歩く姿。
さらに奥には、大勢の仲間と何かを完成させ、笑い合う姿があった。
けれど、どの映像も途中で消えてしまう。
「……これから、こうなるのか?」
かんがは首をかしげた。
「さあ。そうなるかもしれないし、ならないかもしれない」
「なんだよ、それ」
でっさんは笑った。
そして、ふと気づいた。
展示室の奥には、まだ何も映っていない額縁が、数えきれないほど残っていた。

博物館を出ると、でっさんは元の部屋に戻っていた。
机には、描きかけのキャラクター。
途中まで書いた物語。
やってみたいことを書いたノート。
相変わらず、やることは山ほどある。
仕事のことも、生活のことも、考えなくてはいけない。
明日になれば、また迷うかもしれない。
でっさんは椅子に座った。
そして、さっきまで描いていたキャラクターを眺めた。
「……こいつ、次は何をするんだろうな」
鉛筆を手に取る。
少し考えて、変な形の帽子を描き足してみた。
なんだか妙な顔になった。
「ははっ。なんだ、これ」
気に入らなかったので消そうとした。
でも、もう一度眺めると、少し面白かった。
そのまま残すことにした。
机の隅には、博物館の入場券が置かれていた。
裏返すと、最初にはなかった文字が浮かんでいた。
『次回の展示は、まだ決まっていません。』
でっさんは、それをノートに挟んだ。
そして、続きを描き始めた。
今度は、少し大きな紙を広げて。

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